2009年02月04日

粗悪品は粗悪品を望む人に売れば良い?

営業に俗っぽさを感じる事って多い。
よく「大人の事情」と茶化される内容のものが多いのだけれども。

ま、営業話での目から鱗な話。

プログラマ名乗ってる人なら、ソースコード見れば書いた本人の技量も性格もなんとなく分かってしまうと思う。
どんなものでも「物」って作った人のアイデンティティそのもの。
当然、こういう文章なんかも如実。

例えばコードが奇麗で読みやすく、動作は安定しているし、負荷にも配慮されている。細やかな配慮があり、かつ過剰なものもない。
なんてもう、それだけで「すごい人」が書いたんだと思ってしまう。
それほど単純ではなくとも「スキルが高くて性格も細やか。それでも重箱の隅つつくような人ではなさそうだ。」とか。「よく統一された社内規定があるのかもしれない。」とか。
まぁ。読み手によっても評価は左右されるとは思う。

つまり、技術屋には「動きゃいいってもんじゃねー」というのが根底にある。
自分はまだぬるい方なので「動きゃいい」という発想に多少抵抗を感じる程度だけど「嫌悪」する人もいるだろう。

そういいつつ、実は昔、「欠けた茶碗は欠けた茶碗なりに売れる。」という言葉を聞いて、かなり嫌悪した事がある。
ただ、その背景を聞いて、短絡的に嫌悪した自分が恥ずかしくなった。
この言葉、「粗悪品は粗悪品を望む人に売れば良い」という意味だけじゃないんだそうだ。

うろ覚えだが・・・

ある窯元(≒陶器焼くとこ)の庭に野ざらしになってる茶碗を見たある営業マンが、その窯元になぜ茶碗を野ざらしにしているのかと聞いた。
窯元が言うには、それは「ペケ」だという。(欠けたり歪んだりして売り物にならないと言うことらしい。)
欲しいなら適当にもってけと窯元が言うもんだから、後日営業マンは「ペケ」を荷車に山積みにして全部持って行った。

捨てる手間が省けて窯元は喜んだらしいが、後日その営業マンが「売れたからそのお礼だ」と言ってお金を渡しにきた。

窯元が怒ったのなんの「あんなもんを売り物にしたのか!」と激怒したらしい。
しかし、よくよく聞いてみると買った人は相当喜んだと言う。
結局「もし良かったら買った人の所まで行ってみましょう。」と言う話になった。
行ってみると、実は買った人は相当の金持ちで、でかい塀に囲まれたお屋敷だったらしい。

実はこの「ペケ」、塀の頭にに、一列にずらっと伏せて張り付けられていた。
もともとが青い釉薬(?)で戯画が描かれている茶碗だけに、伏せて並べると奇麗で面白いんだそうだ。
結局、窯元も喜んでもらった上にもったいない事しなくて良いならと納得したらしい。

そんな話が伝わって、昔は売らなかった「ペケ」を今では小売りの店舗ですら売るようになった。と。


ホントか嘘かしらないが実際の陶器の町で聞いた逸話(私の実家の実家が陶器の町)
まぁ、他の小売がマネするところに俗っぽさを感じますが、その単純さがほほ笑ましいので、聞いたまま書きました。

焦点は、「粗悪」というレッテルは、どう使うかによって変わると言うことですか。
貼り付ける茶碗に歪みも欠けもない「完璧」なものを求めるのは、過剰な要求なんだということかな。
ご都合主義的に言えば、使用の現場に適した対応はそんなに悪い事じゃない。と、意識が変わった話。

つまり「大人の事情」を許容した瞬間

まー。適材適所と言うか、ものは考え様というか。ま、どう見繕っても粗悪は粗悪なんて場合もありますが、上記の逸話のごとく自分の発想が貧困なゆえの評価なのかもしれない。
今では拡大解釈して、いつのまにか自分でも「粗悪品は粗悪品を望む人に売れば良い」という話を許容してたりして、後で自己嫌悪に陥ったりしてますがw

■ 同日追記

とは言え、嫌悪どころか抵抗や自省もない技術者は技術者と言えない。
むしろ伸びずに打ち止めするか路線変更することになる。
この辺は自分自身、反省すべき部分は多々ある。(汗)

posted by HiFa at 13:52 | 🌁 | Comment(0) | TrackBack(0) | よもやま | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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